3月5日の知らなかった曲

つい昨日まで知らない曲だったのに、今日は一日中それが頭から離れない。


ツイッターでトレンドに入っていてなんとなく聞いてみたゲームのエンディング曲。

軽やかで綺麗で優しいのに寂しい、そんな曲に思った。

サビが切ないのに優しくていいなあ、よく知りもしないのに柔らかな春と別れを感じてしまった。いい曲だ

3月5日、今日はそのゲームにとっては重要な日らしく何度もタイトルを見かけた。


曲がゲーム自体の締めくくり担っていると見て、気になってしまってストーリーのネタバレを読んでしまったし、プレイもしてないのに涙が出た。

いい曲だなあ、最後までゲームをクリアしてエンディングでこれが流れたら泣かずにはいられないだろな

ゲームなんて何年もしてないけど、いつか時間ができたらやりたい、見たい物はたくさんある。

その一つに入れておこうと思った。いつか自分でエンディングを見ようと思う。出来たら3月頃、暖かい春のあたりに。


ほぼ一年前に書いたきりの日記をなんとなく思い出して今日感じたことを書いてみた。

前も同じような春の日の、知らない誰かの哀しい思い出に胸が痛くてどうしようもなくてわざわざブログなんて開設して書いてしまったんだった

春はあったかくて優しいけど寂しいし切ない気分になるんだなあとぼんやり思っている。


エンディングの最後、サビの繰り返しが胸に響く。いつだって、と何度も繰り返す歌詞にきっとこの繰り返し以上に何度もいなくなった人を思い返しているんだろうな

彼女は機械らしいけど、守りたいって言葉すごくしっくり来るね

歌詞がなんかもう眩しい。切ないけど眩しい。登場人物たちにとって、大切な大事な時間だったんだろうな。プレイヤーにとっても。


今日は風が強いんだけど日差しは暖かくて、きっと今日みたいに晴れた春の日にまた何度も聴いてしまうだろうなと思った


いい曲に出会えた良い日だった

きっと来年の3月5日も聴いてると思う。





ライドウはやったことあるけどメガテンもペルソナもあんまり知らないんよね

学生の頃なんであんなにゲームやれてたのか不思議に思う。無双なんて何百時間もやってたのに

いつのまにか新作が出ても購入もプレイもしてなくて、それが当たり前になっていて、でもそれってなんか寂しい

エクステラ、発売日に買ったのにまだクリア出来てない本体どこしまっただろう




買い物行ったら子供が持ってた物ばら撒いてしまいひええええとなったんだけど、周りの人がさっと拾ってくれて本当にありがたかった

子供連れだと当たり前に一人で出かけるよりバタついてるんだけど、周りにすごく優しくしてもらってると思う。ありがてえありがてえ



夜中の感傷


夜中の感傷というか。

無性に、寂しいような哀しいような、よくわからない切ない気持ちを書き残しておきたくなることがある。


ブログなんてよく知らないのだが、丁度人様のブログを読んでいたので開設してみることにした。


さっきから頭の中に浮かび続ける文章。

地域の情報誌、投稿文かなにかのコーナーにあったほんのひと枠。

淡々とした表現と短い文章の中に、その方の子供が亡くなる前に見た桜のことが書かれていた。

静かな美しささえ感じる描写に、胸が締め付けられながら何度も何度も読み返した。


それをふと、つい先ほど思い出して、もうそこから心が動けずにいる。


病院から一時帰宅の帰り道、

透き通るほど白く澄んで見えた子供の頬、

車の窓から共に見た桜、

その年の夏の夕方、亡くなったということ。


内容はこんな感じだったと思う。

何度も読み返したのに、覚えていないものだとも思う。

静かに連なった、けれどその瞬間を今でもはっきりと思い返せるのだろうなと感じる文章に、お子さんが亡くなってからの年月を感じた。


淡々とした中にある悲しみや静謐さに衝撃を受け痛みを感じたのに、はっきりと文章を思い出せないのが遣る瀬無くて、つい先ほどまで躍起になって元の記事を探していた。

ネットの波の中には見つけられなかった。私の探し方が悪い可能性は大いにあるが。


投稿された方にとっては過ぎ去った時間なのだと感じる文章なのに(もちろんその痛みや悲しみは消えはしない物だと思う)

読み返すたびに、頭の中に桜並木を行く車の情景が浮かんだ。


桜並木、

車のシート、

隣に座る小さな頭、

子供らしい頬は白く白く、

その頬越しに窓から見た桜はどんなに美しく悲しく見えただろう。

来年の桜の事を思っただろうか。


一度読んで、忘れられない文章だと思った。実際は少しあやふやで間違っているところもあるかもしれないが、こうやってきっとこの先何かの折にかな文章の事を、この情景を思い出すのだろうなと思う。


悪い意味でなく、文章や物語を読んで傷を負う事がある。

私にとって、この子との別れを書いた静かな文章は痛みを感じさせる。

それなのに何度でも思い出してしまうのは何故なんだろう。

文章の静かな美しさに圧倒され続けているのかもしれない。

自分の事ながらよくわからない、よくわからないがどうしようもない感傷のような、今の気持ちを残しておこうと思う。


同じ記事を読んだ事がある方がいるなら正確なものを教えていただけたら嬉しい。

またきっと桜の頃には、この情景を思って思考が止まる夜が来るのだろうなと感じている。